『囀る鳥』を読むとしばらく情緒がめちゃくちゃになる。
最初からリアルタイムで読んでる人は地獄だろう。
私は2021年7月(7巻まで刊行時点)から読んでいるので一番キツイところはもう通り過ぎたと思う。
この記事では、2024年10月現在の感想を書き留めておく。
トラウマが癒やされるとき
『囀る鳥』はトラウマの物語だ。
矢代が義父から性虐待を受けていたことは第1話の時点で明かされている。
これは作者の配慮だろう。後出しにしなかったのは読者に対して誠実な態度だと思う。
矢代は1巻ではチャラけていて冗談を連発するし、虐待のダメージなど全然ないかのようにふるまっている。(だけど、そうじゃない)
セックスなしじゃ生きられない体になっちゃった!(第2話)
冗談めかして言ってるけど……重いセリフだ。
要は「性依存症」になっているわけ。
想像するに「自分は被害者であり、一方的に性暴力を受けた」と認めるのは耐えがたいから「虐待されると気持ちがいい。乱暴なセックスが好きだから、自分が好きでやっていることだ」と論理をすり替えて、そういうふうに思い込もうとするうち、それが習い性になったんじゃないか。
自慢じゃないが俺は俺のことが結構好きだ
俺という人間をそれなりに受け入れている(第2話)
だけど、百目鬼と惹かれあってセックスしたときに、自分を守るための「殻」にヒビが入った。
(殻に入っているのは鳥のヒナだから、タイトルが『囀る鳥』なんじゃないかな? 『デミアン』だね)
百目鬼っていい男だと思うけど、人としては、幼なすぎたんだと思う。見た目がいかついのに、三角さんも矢代も「ガキだ、ガキだ」と言っていたのはそういうところだ。
愛を受け入れる準備ができていない人に、愛を捧げようとしたから拒否された。
体だけ結ばれて、後でこっぴどく振られて捨てられる百目鬼を見るのは、ほんとにつらかった……。(5巻)
会えないでいた4年の間に百目鬼は覚悟を決めて、大人になった。 矢代に受け入れられるには乱暴なヤクザの男になるしかないから、本物のヤクザになって、矢代が望むようにふるまっているのが現状だ。
人は変わる生き物だが
俺については変わらないようで
まるで成長しない家畜だ(第57話)
矢代は「俺は俺のことが結構好きだ」(第2話)と言っていたのに、今では自己評価が「家畜」にまで堕ちた。
(それとも、はなから家畜のような存在と卑下しながら、そんな自分が好きという意味だったのか?)
いずれにしても、矢代はまだ愛を受け取る準備ができていない。
それなのに、体だけ開いて恋人みたいなセックスをするのは悲しいことだ。
救いは「俺については変わらない、成長しない」という矢代が、本当は変わりたいと思っているんじゃないかということ。
百目鬼に優しく抱かれて「俺を壊すな」と泣いたときに殻は破れたのだから、あとは本人が「幸せになりたい、人を愛したい」と認めるだけだ。それだけで全てが変わる。
百目鬼の行動は、そこにはもはや関係ないのではないかと思う。
矢代が一体いつになったら人を愛する準備ができるのか、わからないけど、トラウマが関係していることだから、他人がなにかしたからって魔法のように傷が癒えるわけではなく、本人の中で静かに癒やしのプロセスがはたらいて、いずれは完全な癒やしに至るんじゃないかと、そう思う。
まあ、9巻のまるで恋人同士みたいなベッドシーンを見るに、しょっちゅう密会して満足なセックスをしているんだから、過去で一番幸せな二人じゃないかっていう気もするけど……。
読者としてはもっと、幸せになってほしいと思う。
矢代がヤクザを抜けたい理由
新刊が出るたびに過去の話をさかのぼっておさらいをする。(6巻までが区切りになっているので、7巻から先を読めば最近の話はわかる)
今回久々に1巻から読み返したら、のっけから重要な人物や情報がほとんど提示されていることに驚いた。
例えば矢代と三角の関係。矢代は若い頃に愛人扱いされ、特別に目をかけられていた。(たぶん、ヤクザとして本気で育てたいと思った時点で、三角は矢代に手を出すのをやめたんだろう)
三角が初対面から百目鬼のことを気に入らず「クビにしろ」と言っているのには笑った。
コイツお前の好みだろ 俺にはわかる クビだ!(第1話)
なんで矢代の好みがわかるのか……と思ったら、矢代が学生時代に思いを寄せていた同級生(=影山)に似ているということらしい。

言うほど似てるか〜?
三角は道心会の幹部として「お前を側に置きたい」と言うが、矢代は躊躇する。(第1話)
矢代は出世せずに、のらりくらりしているほうが都合が良く「できれば抜けたい」と思っている節がある。自傷行為のセックスのためにそこにいるだけで、本気でヤクザをやりたいわけでもないのだろう。
百目鬼のことも突き放して足を洗わせようとしたのに、背中に墨まで入れて本物のヤクザになっていたのを知って、怒り、悲しい顔をしていたぐらいだ。(51話)
抗争を機に所属組織が解散し、闇カジノの社長という身分ではあるが、矢代がせっかくヤクザを辞められたのに……。

百目鬼がヤクザになってたら意味ね〜〜
BLのお約束として、ヤクザを辞めずにハッピーエンドになるのはレアケースだ。
矢代はいくら自傷のセックスをしても幸せにはなれないとわかっていて、だからヤクザを辞めたいと思っているんじゃない?
本心ではトラウマから解放されて、幸せになりたいと願っている。
それがこの物語の救いだと思う。
それまで読者は矢代に付き合って、散々苦しむしかない。
どんな形で矢代は解放されるのか。百目鬼がヤクザを辞めて、ハッピーエンドになる日はくるのか?
明らかに5巻がクライマックスで一番苦しいところだったのに、倍の道のりをかけても終わりそうにない。
たぶん、12巻ぐらいで決着するんじゃないかな。そうだといいな〜と願っている。
百目鬼が精一杯矢代につらくあたろうとして、でもできなくて、結局は優しく抱いてるセラピーみたいなセックスがつらすぎる……。

われわれは一体何を見せられているんだ?
矢代の顔からすっかり険がなくなって、こどもみたいに無垢な表情になっているから。
そろそろ終わり(=救済)は近いんじゃないかと思っている。



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